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駅弁と哀愁

皆さんこんにちは


今日は以前訪れた、京都鉄道博物館館内の展示物の写真を載せてみました。


以前、息子の影響?おかげ?で自分も鉄道が好きになっている事をブログに書きました。


一度好きになってしまうと、というか興味をもってしまうと、それがたとえ自分の住んでいる北海道から遠く離れた土地へ仕事で行ったとしても、その土地の鉄道に興味をもってしまうものです。


京都鉄道博物館には、「様々な」鉄道に関する資料、展示物、車両が羅列していました。


「様々」というのは、本当に多くの種類の鉄道に関する物たちがありすぎて、上手い言葉が見当たらず「様々」という言葉で一括りにしまっています。


その中でも実に興味をもった展示物が、写真にも載せました「駅弁」です。


今や移動する電車で、「駅弁を食べる」、又は「食事をする」はたまた「何かを口する」という行為が特別な事情、特別な状況では無い限り滅多に見かけることがありません。


かくいう自分も、電車で食事をするという事は、昨年熊本で乗車した「オレンジ食堂」以前は、そんなことあったかな?無かったかな?という位記憶にはほぼ無いのか、思い出せないだけなのか、自分の脳みそのハードディスクには存在してない状況でした。


そんな自分の記憶には密接してるとは言い難い、「駅弁」に何故これほどまでも興味を引かれるのか。


上手い言葉が見当たりませんが、ざっくり単刀直入に言うならば、それは「憧れ」なんではないかと思います。


その「憧れ」を抱いたのが、幼き日だったのか、少年の頃だったのか、思い出そうと思っても、記憶の引き出しが何処にあるのか皆目見当もつきません。


只、景色として、光景として思い出せるのは、決して速くはない(新幹線や特急電車、快速電車といった類の鉄道)電車のボックスシートに乗り、時刻は夕暮れ時。

ガタンゴトンと揺れる電車の大きな窓から、見える夕陽を見ながら食べる駅弁。


時折聞こえてくる、汽笛。


そんな景色、光景が記憶の中に、心の中にいつも呼び出せば、「やぁ!」といった感じで目の前に現れて来てくれます。


2024年の夏は、そんな「憧れ」の旅を家族で出来たら良いなと、隣で寝る息子を時折見ながら考えています。

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